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小説 短編 『晩秋』 [創作]

狭いアパートの階段をいつもの通り、意味も無く数えながら降りてゆく。
雨にあたらないように停めてある自転車の簡易なカギをはずすと、
金属に触れた指先がひんやりと冷たい。
カギをしまい、まだ靄のかかっている道まで自転車をひいてくると、朝の喧騒が耳をうつ。

また朝が来た。
僕の心なんてお構いなしに
また新しい一日が始まったんだ。



「人は何のために生きていると思う?」
とミオは手に持っていた厚めの図書室の本を、ぽんと音を立てて机の上に置くと
僕の顔を覗き込んだ。
彼女の話はいつも唐突だ。
「死ぬのが面倒だからだろう?」
僕は週刊の漫画雑誌から眼もあげずに応えた。
「リョータくんたら、ちっとも真面目に考えていないでしょ。」

開け放した窓からサッカー部の掛け合いと、遠くで吹奏楽部の演奏が聞こえてくる。
傾いた陽がやわらかく校舎を包んで、そろそろセピア色に変わろうとしていた。
少人数の同じ中学の出身だった所為か、クラスが同じになると、
気心も知れている上に、帰る方向が同じな事もあって、
なんとなく僕らは時間を合わせて学校を出るようになった。
図書委員会のあるミオを、帰宅部の僕が待っているのがいつもではあったが。

ミオは決して美少女ではないが、笑うと大きな目が猫のように細められ
それがあんまり楽しそうにみえるものだから、見ているこちらまで心楽しくなってしまう。
そしてなによりも、その性格の明るさと、優しい気配りができるので
中学時代から男女の分け隔てなく友人が多かった。
高校に入ってからはクラス公認!とよく冷やかされたが、
僕はむしろそれがなんだか嬉しいくらいだった。
でも僕らは手をつなぐでも無く、中学の時と同じように
とても仲の良い気の合う友人同士で、それ以上でもそれ以下でも無かった。

校門からバス停までのだらだらした細い登り道を、僕らは何も言わずに歩いた。
ミオは少し僕から離れると、道の両脇に丈高く茂っているススキの穂をそっとなでた。
「うふふふ。やわらかい。一面の金色ね。」
彼女はハイタッチをするサッカー選手のように、
両脇のススキの穂を、順番にぽんぽんと触れていった。
道の端と端をくるくると回りながらなでてゆくものだから、
セーラー服のスカートといっしょに、肩までのさらさらした髪まで
まあるく円を描いて広がった。

まるで小さな少女のようだった。

遠く沈む夕焼けの最後のゆらめきが、踊るように先をゆく彼女を
輝くオレンジ色に浮かびあがらせて
僕は一枚の宗教画の前にいるような、崇高で胸が痛くなるような感動を覚えていた。

暗い森の中を何日も彷徨い歩いた末に見つけた、山小屋の小さな灯火のような。
長い病の末にようやく目覚めて、そこに優しい母の笑顔を見つけたような。

きっと僕はこの風景を、この先何十年経っても鮮やかに覚えている。
遠い日に故郷を想う時にもきっと思い浮かべるだろう、ふとそんな事が頭をよぎった。

ミオは息を切らして戻ってくると、にっこり笑った。
「わかったわ。きっとこの美しい世界をいっぱい楽しむためだわ。」
その紅潮した頬と、きらきらとした瞳と屈託の無い微笑み。
僕はきっとこの瞬間にミオに恋をしたのだと思う。
まさしくすとんと落ちたこの想いに、
僕は彼女が何に対して『わかった』のかさへ、理解できていなかった。

ミオの優しい仕草やさり気ない気遣い、弱い者を守ろうとする正義感。
その時々のミオが僕の中で駆け巡った。
思わずそのひんやりとした華奢の指先を握りしめたまま、
彼女と共にどこまでも歩いて、美しい世界をもっとたくさん見せてあげたいと本気で考えた。
僕の道の隣にいるのは、ミオであって欲しい。
この手は決して離してはいけない。

僕は自分でも戸惑いながら、しどろもどろに自分が彼女の特別な人間になりたいと伝えると、
僕を見つめるミオの大きな瞳から、涙がぽろぽろと溢れた。
「そんなこと・・。私にはもうずっとリョータくんは特別だったのに。」
そして涙のままの笑顔で、僕の両手をぎゅううっと握り返した。

それが僕らの最良の日々の始まりだった。


僕らはいつも微笑みあった。
時には怒り、いくつかの涙も流したが、
そんな喧嘩をして泣きながらでも、彼女は僕と共にいてくれた。
どんな出来事も哀しみも、僕らをひき離す事はできなかった。

彼女は僕自身よりも僕の事を深く理解してくれていた。
僕らはもともと魂がひとつであったように、どんな時でも一緒にいた。

そんな日々はずっと続くものだと信じていた。

そう、続くべきなんだ。




僕は自転車をいつもの駐輪場に停めた。
大きな門を入ると、そこは広く明るいエントランス。
ここはいつも静かだ。
エレベーターを待つこの数分間。
いつも胃がぎゅうっと掴まれるような感じがする。

大きく息を吸い込んで、扉を開く。

ミオは車椅子に座ってこちらを見ている。
実際は顔をこちらに向けている、が正しい。
彼女の瞳は僕の姿を映しても、もう何も反応はしない。

「やあミオ、きたよ。」
僕は途中で抜いて来たススキを三本、
大事にそっと上着のポケットから出すと、ミオの手に握らせた。

「ほら。ミオの好きな美しい世界だよ。」
ミオの表情がほんの少し動く。
手がススキの穂を慈しむようにあてられている。

「まあ。」付き添っていた中年の介護士が声をあげた。
「今日はちゃんと解っているようですね。嬉しそう。」
「これでも笑っているのですよ、ミオは。」
「そうですね。」

介護士はミオに向き合うと、耳元で大きな声をあげてゆっくり話した。
「ミオおばあちゃん、よかったね?だんなさんがススキ持って来てくれたのね?」

ミオの目がしばたいた。
きっと脳の遠い所で、ミオも僕と同じ風景を見ているのかもしれない。


広大な世界の中で僕を見つけ、愛してくれた。
他の誰にも替わる事の出来ない、唯一のかけがえのない女性・・・・・・ミオ。
初めて会った子供の頃から、こんなに長い間僕らは一緒に歩いて来たんだ。
哀しませた事もいっぱいあった。
君の口癖の『大丈夫、大丈夫。』が聞きたい。
せめてあの笑顔をもう一度見る事が出来れば、どんなに幸せだろう。

それでも・・。

ねぇミオ。

僕は目覚めると毎朝君のことを考える。
君が僕にくれたたくさんの日々の事を考える。

そうだよ。
君は僕に明日へ向かう勇気を毎日くれている。
ただそこに息をして、存在しているだけにしても。


人は何のために生きているのだろう。
ミオが言ったように、この美しい一瞬を楽しむためかもしれない。
でも僕は今思う。

人は誰かのために・・・
誰かに勇気を与えるために
頑張って生きてゆくんじゃないだろうか。
ミオが僕にこうして、今でも与え続けてくれているように。

ありがとう、ミオ。
僕の為に生きていてくれてありがとう。

僕はミオの折れそうな細い手をそっととった。
ふたりの手の中で、ススキがゆらゆらと頷くように頭を振った。

僕は彼女の耳元でゆっくり話しかけた。

「ミオ。僕の特別は、ずっと、いつまでも、君だけだからね?」

ミオの目がまたしばたかれた。

そして微かに・・
ほんとうに微かに、僕の手がゆっくりと握り返されてきた。



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